ドメーヌの新樽政策


よく言われることだが、「新樽の使い方が改善されて何年か前よりもお宅のワインは樽香が控え目になったようだ。」ということ。実際にかなり以前にやり方が変わったのは確かだが、良くない結果の連続でなかなか改善が難しかった。 80年代、私達のワインは焙煎と木の燻されたアロマをはっきりと感じるものだった。また、今日においても見つけ出されるアロマだが、一度もワインが克服したことのないアロマの問題をなんとか直していかなければならなかった。 アロマを提供するために新樽を使用するのではなく、徐々に酸素をワインに添加していくためであることを申し上げたい。酸素添加はグラン・ヴァンの新鮮さと成熟にとって欠くことのできないものだ。アロマの影響は二次的効果であって、しっかり管理できないといけないものだ。

それぞれのワイン、ヴィンテージに新樽を適応させる難しさがつきまとう。これについては一般論を打ちたてようとしてみたが、遅かれ早かれ否定されることだろう。たとえば、良い酸がある年よりもよく熟した年のほうが新樽はあまり用いられない、という論だ。 この理屈によると、2003年ものはあまり樽を用いられないはずだ。ところがその反対のことが起こっている。2002年は当初想像していたよりも多くの樽香が良く出ている。新樽に対するヴィンテージの反応とういうものは、ほとんどの場合予知できないものだ。 この状況に対して、二つの対応が考えられる。一つはあきらかに旧樽を多く使用している比率のなかに、新樽を混ぜることで不確定要素をのぞくということ。この場合、下のカテゴリーのワインならば果実味をより多く感じ、判断も可能だが、グラン・ヴァンクラスにはもう一つの複雑味を生む方向性を断ってしまうことになる。 二つ目の対応はあらゆる状況に応じてふさわしい樽を見つけるために、樽職人と二人三脚の共同作業をすることだ。無謀な賭けでもある。樽職人というのは、職人技と工場生産の間の十字路をつかさどっているような仕事だ。樫の生産地、 同じ森の中でも木の多様性があり、チームによって焦がしに軽い違いを付けていく方法など・・・全てが完成品にかなりのバラエティーの多さをもたらす作業だ。そして、またこれこそワイン生産者達が求めているものだ。

フランソワ・フレール社と共に私達はよりふさわしい焦がしの方法を決定した。あまり強すぎることなく、むしろ軽いくらいだ。時が経つにつれ、ワインの持っているアロマに完全に溶け込んでいく樽からのバニラの香り、甘草、モカといったアロマをかもし出す。 現在まで続いている問題点は木の生産地にかかわることだ。もし、いくつかのワインが樽にあまり耐えられないようだとしても木の生産地がワインにふさわしくなかった為だとは、はっきりと言うことは出来ないのではないだろうか。 うちのドメーヌでは、ベルトランジュの森(ヌヴェールのとなり)からくる樽が私達のスタイルやテロワール、ヴィンテージの多様性に適合している。 トロンセの森も同様になかなか面白い。並外れた素晴らしい樽を生み出すが、時折熟成の最終段階でワインに樽香が少し付きすぎる傾向がある。だから補う程度に使うことが必要で、主要な樽として多量に使用してはいけない。 他の産地から来るものも考えられる。最近ではハンガリー産のものが市場に出回っている。手ごろな価格が売りの原産地ではあるが、もちろん私達にとって一番の関心事は価格ではない。最初の試作は前途有望だった。フランスの木の代用と主張しなければ、ハンガリー産の樽はなかなか良い要素をいくつかのワインにもたらしている。今後もこの状態が継続できるかが勝負だろう。 最後に樽に対して、ワインがどのように反応するかというわずかに信頼できる唯一の手がかりは、やはりテロワールである。いくつかのワインは高い比率で新樽に良く反応している。例えばトロンセの樽などに良く見られる。他はやや繊細でかなり病み付きになるほどの研究を重ねていかないとわからないようだ。