エチエンヌ・カミュゼ氏の娘、マリア・ノワロがブドウ畑を相続していたが、1959年に亡くなる際子供がいなかった為、近親のジャン・メオ氏にドメーヌを遺した。メオ氏は当時ドゴール将軍の内閣に籍を置いていた。

マリア・ノワロ女史の「すべてを存続させる」という意志はもちろん尊重された。ドメーヌを拡大していくことは畑を実際に任されていた分益小作人達に託された。ジャン・メオ氏はワインの商品化にも力を入れた。当初は地元で有力なネゴシアンに樽で売買された。この経営段階においてはメオ氏はパリの職務を果たしながらブルゴーニュのドメーヌの監督を続けることができた。